本と映画の感想

最近部屋の片づけをしたくて、まあ全然片づかないんですけどその一環として積読本を少しずつ崩そうという試みをしています。

映画もせっかくサブスクに入っているからもっとたくさん見たいな~と思いつつ、なかなか真新しいものを見ようと思うとエネルギーが足りない気がして実行に移せないのは寄る年波なのだろうかと思うと切ない……

一度見たことあるものをぼんやり流す方が安心できるのってなぜなのでしょうね。

 

以下感想。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(小説)

スーサイド・スクワッド(映画)

 

 

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

かなり昔、それこそ学生の頃にタイトルと表紙が可愛いなと思って買ったような気がします。

たぶんあらすじとかも特に気にせず買ったんじゃないかと思うんですけど、改めて読もうかなと思い裏表紙を見てみると暗そうなあらすじで、タイトル違えば手に取ってなかったかもしれないな……なんて思うとタイトルの大切さが分かるような気がします。

 

クールで現実主義な女の子なぎさが風変わりな転校生の女の子藻屑に絡まれ少しずつ惹かれていく話……というとあっさりとした感じだけれど、実際読んだ感触というか、この話の本質的な部分はそういう骨組みだけのあらすじでは表現しきれないものだなという感じがしました。

クールに実弾(砂糖菓子の弾丸の対義語)を求める主人公のなぎさは母子家庭で家事をしっかりこなし世間に対してもどこか斜に構えていて大人びた少女のような印象を序盤では受けるんだけど、あくまで小説は一人称形式だから、実際の彼女はとりわけ大人びているとも言い難い本当に普通の中学生の女の子なんだと読んでいく内に分かっていくのがすごく面白い。

実弾を手に入れるために早く大人になりたいなぎさはそれでもどうしようもなく子どもなので実弾を手に入れることはできずとても無力で、だから不格好でも砂糖菓子の弾丸という子どもでも手に入れられる弾をやたらめったらと周囲に撃ちまくる藻屑に少しずつ惹かれていったのかな、と思います。撃ったところで砂糖菓子なので何も切り開けないけど、それでも撃つ藻屑……藻屑の手を引いてどこでもないどこかへ逃げ出そうとするなぎさは年相応に無謀で愚か、とみなすこともできるけれど、彼女も砂糖菓子の弾丸を撃とうとしたのかもしれない。精一杯現実に抗おうと。

中盤から終盤にかけての子どもの無力さの描写が途方もなくて、同時にリアリティがあり、非常に胸に迫りました。どれだけ貧しくても、不幸でも、虐げられていても、与えられた環境から逃れられない絶望感。学校や田舎の閉塞感のある描写がそれに拍車をかけているなとも。

子どもに安心を与えるのが大人の義務なのだとしみじみ感じながら、それがうまくいっていない家庭はきっとどこにでもあるのだろうとも想像できて、日本中のあちこちで起きているのであろう絶望を思うと暗い気持ちになりますね。

ずっと飼育委員を続けるなぎさの姿が引きこもりの兄の世話をする姿とつながるシーンや、噂話から藻屑の言動の裏側が分かるシーンはハッとする部分があり良かったです。

決してハッピーエンドとは言い難くあらすじ以上に暗い話だったけれど、それだけでなく惹きつけられる話でした。

 

スーサイド・スクワッド

ツイッターで見たハーレイ・クインちゃんが可愛かったので視聴。

映画全体としてはなんというか……あんまり……という感じだったんだけど、ハーレイ・クインちゃんは可愛かったしスナイパーの人のキャラが良かったです。ハーレイ・クインちゃんの足最高だった……。

元ネタにあまり詳しくないんだけど、普通の女性が恋に狂って「ああ」なるのってメチャクチャにアツいなと思いました。たぶん彼女というよりも、ジョーカーのカリスマ性というか人を狂わせる力がすさまじいという感じなのかなという気がするけど。

ハーレイ・クインちゃんとジョーカーのシーン全体的にロマンチックで素敵でした。でも途中にさしこまれるそういう要素が物語全体の大きな流れをせき止めているというか、テンポの悪さに繋がってたんじゃないかっていう感じもあった……。

華麗なる覚醒の方もまた時間がある時に見たいな~。